KAGASHIZA事務局(長)日誌

事務局日記ではなく事務局長の日記なのでまあ色々書くの。うん。

コトバノノドゴシ

〇先日のコノ日記にも書いたが完氏のコトバとコミュニケーションは独特。

「コーイチさん!」

「コーイチさん!?」

「コーイチさーん!!」

と呼ぶから「なんぞ!?」と聞けば

「・・・(無言)・・・・」という事は茶飯事である。

 

ワタシに言わせてもらうとコレ一般的に言えば、好意を持った娘とついにしゃべる事ができた時に―

 

♀「イタリアンが食べたーい」

♂「うん、そーだね!」

♀「でもイタリアン嫌ーい」

♂「うんうん、まずいよね!!」

♀「まずいって言うか―、わたしトマト駄目な人だから―」

♂「トマト滅んだらいいよねっ!」

♀「うちトマト農家だから―」

♂「トマト最高だよねー!!」

などと言うように会話の楽しさが優先であり、

内容などどうでもいいという事がまあ、ある。

あるんだよ。あるんだってばっ!

 

 

完氏の話はそれに近い事「も」あるなあと常々感じておりました。

 

 

そんな折、さらに完氏の研究はこの中川氏の研究発表により数段と飛躍的に進み、宇宙の謎と共に完氏の言葉の関係がいよいよ紐解かれた感があります。

まあ詳しくは「わら細工通信」の2018.9月号に載っているのですが、ここでもう一度媒体も違いますし載っけてみましょう。

 

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まあ、メガネを失ってから描きにくくなった完氏の独特な表情が活写されているのはもちろんだが、ここでは「言葉」に目を向ける。

 

 

 

諦観か自暴自棄か、所詮諸行無常の世の中である事を表すか。

「お金が無いんですよ」

というがために"お金を無くす"その狂った整合性と、「手段」の為に「目的」を選ばない確信犯ぶり。

  

「言葉の『のどごし』を楽しむ」

言葉の内容が必要なのでなく、言葉そのものが必要であり、純粋な「コトバ」の信奉者が叫ぶ純粋な言葉への愛のほとばしりは愛そのものであり。

「言葉ののどごし」。
喉に残る余韻や、肺から出ていった熱い息の量、口の形から反響まで。

カレーが飲み物であるように言葉も飲み物であり、ビールの苦さが喉ごし優先で否定されることがないように、大事ではあるが今まで語られることのなかった観点だろう。

 

よく言葉を言い終えて

「ぐふふふ」

と笑うあの完氏の笑顔の謎も少しこれで分かったような気がする。

 

いやあコレちょっと、というか目からウロコの気づきであり、凄い観察。たぶん今年のわらじノーベル賞を取るのではないかしらん。

 

 

 

 

樹木希林追悼でテレビも結構な特集をやっている。

この写真はかがし座PCの雑画像の中で眠っていたもの。

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読みにくいのでボディコピーを活字に起こしてみる。

 

  人は必ず死ぬというのに。

  長生きを叶える技術ばかりが進化して

  なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。

  死を疎むことなく、死を焦ることもなく、

  ひとつひとつの欲を手放して、

  身じまいをしていきたいと思うのです。

  人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く星になりたい。

  それが、私の最後の欲なのです。

 

確か宝島社の新聞全面広告だったかと。

お見事。

 

ついでに言えばこの広告が出来上がってから本人、

「アレはワタシとは違う。ワタシはもう好き勝手にやっているもの」と言ったとか。凄いねw