はじめなはなしまじめなはなし
ただいま現在2019年度の初日、
四月一日にして月曜の午後いちという、
まっさらさらのドでかい節目である。
ましてやさっき小一時間前には「令和」なる新元号まで発表されたこの午後である。予定されている連絡会議は本日欠席というか、かがし座留守番の私。節目の会議に出ぬのならせめてこの日記を更新しようとする次第。
言い訳長いね、苦笑い。
桜である。
なんでも「サ神」なる田の神様が依る所、(くら)としての「サ(神)くら」であり「さくら」であるというのは一説であるようで。まあ言われてみれば、稲を植えるのは「さおとめ」であるのもここからかと。
せっかくの新シーズンの始まり。
ちょっと今年の抱負というかまだ言葉にしにくいけど考えていることなどを書き出してみようと思う。
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実際の街の中では高齢になってくる障害者をさらに年を重ねた親が支え、時に支え合う暮らしなどはママある話。しかしてこうしたケースも暮らし向きが難しくなるにつれ「障害者」「高齢者」とそれぞれの分野でそれぞれの分野別に制度をあてがわれてグループホームなりにまとめられていくケースが多い。
「障害」「高齢」ETC・・・と分野別に分かれているものを一緒にできないか。そんな話を高齢者(w)としての本田さんと土曜にしばし。
実際にはオエヴィスの泊り見守りとして入ってくれている本田さん。ここには現実として「障害者」と「高齢者」が共に住む形がある。しかしてズバリ本田さんに「オエヴィスで暮らせますか?」と問えば「ちょっときついよなあ」と。
ここでは「もんてんに比べればまだオエヴィス」という話も出、これをもう少し突っ込んでみると「オエヴィスはそれぞれの部屋から外にアクセスできるから」という話になる。
そう考えるとお江戸の長屋などは長屋ごとに繋がりつつコミュニティとしての井戸端があり、個別性も担保された形。
あれいいなあ。
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上記と関連するが現実には江戸的な長屋は今はない。
長屋を構成する要素とは何だろう?
不動産的な要素以外で長屋を作ることはできないだろうか。
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給料日を一緒にした。
僕たちも、通って来ている障害を持つ人も。
でも働き方は違うが額も違う。大きく違う。
くみちょうは月給をもらう。しかして月給としてきっちりもらっている障害者は他にはいない。そうしたことを改めて俎板の上に乗せたい。
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情報を集めにいろいろな人がいろいろなイベントに顔を出す。でもその情報は何のためかまでは話が伸びていかない。
たとえば去年突然ミッキーの家が施設も考えているという話が出てみんなびっくりした。あまりにも突然だったがそれはきっと「突然ではない」のだろう。
私たちの見えない所でふつふつと高まっていった結果なのだと思う。「うちの家族を頼むよ」とまるっと放り投げれば「なんて雑な」といわれるだろう。「そろそろ一人暮らしさせては?」と言えば「人の家の事情にまで踏み込むな」といわれるだろうか。
そんな話を越えるには話すことが少なすぎるだろう。
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ゆめ風で出た話。
一人暮らしの障害者宅の防災モデルルーム化。簡単、低予算、現実的。誰から始めようか。
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去年のクリスマス会以降、動画の注文というか動画の発注が潜在的に増えている。小さい動画コンテンツを作る仕事はありか。
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今日は真面目な話ばかりになっちゃったか。
まあいつもがまじめな話で無い訳ではないんだけどなW